昼過ぎに起きてしばらくウダウダしてから近所の龍ちゃんらーめんに行った。近場のラーメン屋では今のところ一番好きな店で、ここのラーメンを食べるとラーメンてのは汁に麺が入ってればいいんだよなと思う。太麺と細麺が選べて太麺を選ぶと小麦感の味わえる腰の強いのが楽しめ、細麺はツルツル系でそれはそれで上手い。それがあっさりだがキレのある塩スープと調和して、行くと必ず太麺~替え玉で細麺の両方を食べてしまう。
今週は激務が続いて疲労が半端でなかったため、そのあともけっこうウダウダしていた。見れずにいたK-1も見た。結果と評判は既に知っていたが、かなり楽しめた。毎年日本トーナメントはけっこう楽しいのだが、今回は日菜太、山本、自演乙の3人に尽きる。特に自演乙の日本拳法仕込みらしい打撃は見ていて心が躍った。まだまだいくらでも技術の革新は起こるのだ。この前のDEEPでは池本がダブルパンチで門馬を追い込んでKOしたし、同じくDEEPの菊野は空手式の三日月蹴りでブギョンを倒した。UFCではリョートが伝統派空手の打撃とリズムで強豪を完封し続けているし、GSPも空手をバックボーンとした打撃を見せてくれる。日本の武道から発生した技術が格闘技で成果を上げ、技術の改革を促しているこの現状は興味深い。K-1も総合も、ボクシングとは比較にならないほど発展途上のスポーツだから、このような現象は、今後もどんどん出てくるだろう。
その後、2006年度の卒業制作作品である「ORIGINALITY」を見た。改めて見たいなあとずっと思っていて、久しぶりに時間が出来たので部屋で見た。「ヒネモステ」を見てもそうだったが、制作に関わった映画を見ると、目前にある映画そのものと共に、映画が撮られた場所の記憶が浮かび上がってくる。「このときは引き絵を撮るべく窓を開けていたなあ」とか、「カメラを中腰で構えていたなあ」とか、そういうのが映像と感覚で蘇って来るのだ。「ヒネモステ」の編集時にワンカットだけ左右反転したカットがあって、それは人物の移動の方向にどうしても違和感が生じるために反転したわけだったのだが、完成してもしばらくはそのカットの度に自分の脳内の時空が捩れるような変な気分を味わったことがあった。それは時間と共に薄れる感覚ではあるがどうしても消えることのない反応で、自分が監督したものに関してはどれを見ても必ずそれがある。
「ORIGINALITY」は、改めて見て、全体が細部を支えているように感じられた。細部が、それ自身ではあまり意味を成さないが、それぞれと関わりあうことで意味を成すというか。制作時の状況からいって、編集では意味に頼らざるを得ない部分もあり、そういった集積が最後に映画の中で大きなテーマとして立ち上がってくるというか。「ヒネモステ」はどこを切っても「ヒネモステ」であり、瞬間が漏れなく「ヒネモステ」という感じなのだが、「ORIGINALITY」は「ORIGINALITY」という映画の体験を通してやっと「ORIGINALITY」という映画になる印象。部分部分を見ていくとかなり安直な接続が見受けられるのだが、全体を通して見ると今の僕には到底理解出来ない運動が映画の中にある。それは、撮影時や編集時の僕自身の状況や周りとの関係や卒制の締め切りやら色々なことがダイレクトに映画に作用した結果であり、もちろん再現は出来ない。とはいえ編集は極めて理性的に行われており、これはかなり投げやりに撮影や編集を進めていった段階から時間を追って形成されていったその時限りの理性であり、その感覚に愚直なまでに従うことが出来たという事実が「ORIGINALITY」が僕に与えた呪いだ。
ラベル: 映画