安全
松本人志はおそらく映画を作ることを必要としていない。「しんぼる」は、個として生きる松本人志を徹底的に覆い隠す。画面に登場する松本も、監督としての松本も、テレビに登場するタレントとしての松本人志であり、彼自身その領域を出ようとしない。かつらを被り、パジャマを着、無様な芝居をさらすことで、自身を安全な領域に隔離する。そしてタレント松本人志として一方的に映画と戯れる。難解風な作品を作る映画監督というステータスを得る。
彼だからこそそのように振舞うことが出来る。いわゆる映画、映画らしさを安易に持ち込まない。むしろ彼は、タレント松本人志が立っている場所から映画作りを始めている。松本人志だからこそ、それが出来るといえるだろう。胃モタレするような多くの作品群よりはずっと信頼できる映画だ。
しかし、「しんぼる」を構成する全てのカットはタレント松本人志という記号によって守られていて、映画は、彼個人を問うことを拒否する。そこに僕は歯痒さを覚えた。松本人志が映画を疑い、タレントとしての自身の存在に守られることなく、個としての松本人志を起点として映画作りを開始出来たとしたら、どのようなものになるだろう。「しんぼる」はまだ、リスクを負うことを避けている。
ラベル: 映画


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